平川動物公園は今から53年前の1972(昭和47)年10月14日に開園しました。この年は、鹿児島では国民体育大会が開催され、鹿児島空港が現在の場所に移転・開港しました。国内に目を向けると、沖縄返還協定が日米両政府間で締結されたことにより沖縄の本土復帰が実現しました。さらには日中国交正常化を記念して、東京の上野動物園に2頭のジャイアントパンダが来園するなど話題の多い年でもありました。
このようなことを5年前の園長ブログに書いたのですが、3年前に園の公式ホームページがリニューアルされた際に、それ以前のデータが消えてしまいました。
下書きが一部残っていたので、加筆修正しつつ、あらためて書いてみます。
平川動物公園開園の前年、1971年4月5日に平川動物公園建設工事の起工式が行われました。
前身の鴨池動物園周辺は、1916年の開園から50年以上経過する中で周辺の市街化が進んだため、動物たちが自然の中でのびのびと暮らせる環境を求めて、郊外に移転することになったのです。


建設候補地の選定や用地買収に苦労した様子が当時の資料からうかがえます。ちなみに、候補地は現在の場所以外には、吉野、伊敷、慈眼寺、などがあり、近くでは五位野駅からほど近い古屋敷地区(錦江湾を望む五位野駅の東側)も候補に挙がっていたようです。
最終的には現在の平川の地に決定しました。適度な起伏がある地形にまとまった面積の用地が確保できること、霧島と指宿という鹿児島の観光地を結ぶルート上にあり、国道226号線やJR指宿枕崎線からのアクセスが比較的近いことなどが理由のようです。加えて水の便が良いこともありました。動物園では動物たちの飲み水だけでなく、動物用のプール、動物舎の清掃に大量の水を使用するからです。

新たに動物園を建設するにあたり、平川動物公園をどのような動物園にするのか、基本構想をまとめたのは東京農業大学の近藤典生教授(故人)です。近藤先生は「自然との共生」「動物と植物の調和」を理念に動植物公園の設計に多数携わられており、当園以外にも伊豆シャボテン動物公園、長崎バイオパーク、ネオパークオキナワ、などの動物園や自然公園の企画および設計をなさっています。近藤先生が関わられた園は、いずれも豊富に植物を取り入れた自然景観を生かし、動物と植物が一体となった展示が特色となっています。


当初開園は1972年の春が予定されていました。しかしながら国道から園内へ至る市道の用地買収が難航したこと、工事中の園内で梅雨時に土砂崩れが発生したことなどの影響のため、1972年10月14日にようやく開園を迎えました。


開園当初の園内マップが残っています。1972年の鴨池動物園閉園時にはキリンを飼育していなかったため、平川動物公園の開園にあたりマサイキリンが宮崎の動物園から新たに導入されました。到着したのは開園の1週間前。慌ただしく迎え入れたのではないかと想像します。目玉となる動物の一つだったため、園内マップの表紙に採用となったのでしょう。



先日はテレビの取材があり、開園当初から定年退職まで平川動物公園に勤務された大先輩のお話をうかがう機会がありました。私が子どもの頃、胸を躍らせ訪れた平川動物公園。当時から長年にわたり、多くの先輩方が動物の飼育・動物園の管理運営に力を注いでこられたからこそ、今の平川動物公園があるのだと感じています。
平川動物公園の開園に携わった方々の苦労や情熱に思いを巡らしつつ、開園から53年が経過した秋の園内を散策してみてはいかがでしょうか。
園長 福守