シロサイのシノ(雌)が年明けから食欲が低下するなど体調を崩し、治療を続けていましたが3月18日に死亡しました。46歳でした。
これで平川動物公園からサイがいなくなりました。
46歳という年齢は、シロサイとしては国内最高齢でした。

シノは1978年7月16日に宮崎サファリパークで生まれ、1986年7月11日に平川動物公園に来園しました。この時、一緒に来たのは同じ宮崎サファリパーク生まれのチョウスケ(雄)です。
飼育下でのシロサイの繁殖は難しく、当時は成功例がない中、日本で初めて生まれたシロサイがチョウスケでした。シロサイが繁殖するためには野生と同様に群れで飼育することが望ましく、そのためには広大なスペースが必要です。宮崎サファリパークでは当時12頭(雄4頭・雌8頭)を19haで飼育していたとの資料があります。この広さは平川動物公園の敷地の約2/3をシロサイなどの大型草食獣エリアに充てていたことになります。
当時の宮崎サファリパークは後に平川に来たチョウスケをはじめ、同じ年に5例連続でシロサイの繁殖に成功しました。その時、5番目に生まれたシロサイがシノだったのです。
ちなみに、子どもの頃に私が宮崎サファリパークを訪れたのが1978年8月でした。シノが生まれた翌月なのですが、シロサイの仔を見た記憶は残念ながらありません…
近くにいるライオンやトラを車の中から見て、ゾクゾクしたことは覚えています。

ところで、今となっては閉園した宮崎サファリパークをご存じない方もいらっしゃることでしょう。
宮崎サファリパークは1975年に宮崎県佐土原町(現在は宮崎市)に開園した国内初のサファリ形式(車に乗ったまま動物の展示エリアを観覧する)の動物園です。入園者の減少などを理由に、11年後の1986年11月に閉園しています。
シノとチョウスケ、2頭のシロサイが平川動物公園に来園したのが1986年7月ですから、閉園に向けて動物を全国各地へ送り出していたのだろうと推測します。
宮崎サファリパークの跡地は、今ではゴルフ場に姿を変えています。

「新たにサイが来る予定はありますか?」
というご質問を受けることがあります。
野生下においてシロサイの数は減っており、取引は厳しく制限されています。また、国内の動物園では10年以上繁殖例がありません。そのため、今のところシロサイが来る可能性は限りなく低いというのが現実です。
サイの仲間はいずれも生息数を減らしています。その理由としては、サイの角を装飾品や漢方薬に用いるために密猟が絶えないからです。
サイの角は蛋白質の一種「ケラチン」が主成分です。これは私たちの爪や髪の毛と同じ成分なので、とても薬効があるとは思えません。迷信のためにサイの命が奪われ、角が違法に売買されているのは残念なことです。

「アフリカの草原ゾーン」で桜島を背景に動物たちが共存する混合展示は、平川動物公園を象徴する光景です。その中で大きな存在感を発揮していたシロサイが見られなくなったのは、寂しいというしかありません。シノのことは、いつまでも私たちの記憶に留めておこうと思います。
園長 福守
参考文献
・宮崎サファリパークガイドブック 日本サファリパーク株式会社
・どうぶつと動物園1980年6月号 東京動物園協会
