チンパンジーのラルゴが6月8日に41歳で死亡しました。死因は中枢神経系の腫瘍の可能性が高く、詳細については調査中です。
園長となった今、私には担当動物がありませんが、8年前までは飼育係の一員として、様々な動物を担当していました。前職の動物園も含めて、最も長くかかわった動物はチンパンジーです。それだけにラルゴの死は非常に残念であり、重く受け止めました。
ところで「チンパンジー」と聞いて、どのような動物を想像しますか?
テレビに子供のチンパンジーがよく出ていた影響で、小さく可愛らしいと思っている方々が多いようです。実際にはヒトに最も近い生き物ですから、成長したら体の大きさ(体重など)はヒトと同じぐらいです。
また、知能は高く力が強く、成長した雄は攻撃的な一面もあるため、場合によっては危険なこともあります。
私が飼育担当者としてラルゴと出会ったのは11年前でした。当時は今のチンパンジー舎ではなく、すでに取り壊された旧類人猿舎にラルゴとケイ、雄だけ2頭で暮らしていました。
私がかつて別の動物園でチンパンジーを担当していたと言っても、平川動物公園では先輩であるラルゴたちにとっては
「新人が来た、からかってやろう」
程度にしか思っていなかったようです。
当時一緒に仕事をしていたKさんの言うことは聞くのに、私が牛乳を飲ませようとするとラルゴもケイもボトルをたたき落とし、床にこぼれてしまうこともしばしばでした。
それでも、毎日のチンパンジーのガイドでは、食べ物を手渡しながら解説しなければなりません。最初の頃は私に対して明らかに「隙を狙って攻撃してやろう」という意図が見て取れました。そこで怖がる様子を見せると良くありません。かと言って「上から目線」の態度では彼らに反発されてしまいます。私はできるだけ平然と接するよう心掛けました。
時間をかけつつ関係性が構築されると、ラルゴたちは徐々に私に対して攻撃的な態度を見せなくなりました。
9年前の2015年に現在のチンパンジー舎が完成し、ラルゴとケイは新居に引っ越しました。やがてほかの動物園から若い雌のチンパンジーもやって来て、新旧メンバーを時間をかけて一緒にしました。
平川動物公園の前身の鴨池動物園時代にチンパンジーの飼育を開始したのが70年前の1954年。それ以来、ペアでの飼育はありましたが、野生での暮らしに近い「幅広い年代の雄も雌も複数いる群れ」は平川動物公園ではこの時に初めてスタートしたのです。
社会が形成されると、ある程度の秩序が必要となります。これはヒト以外の生き物も同じで、チンパンジーのように個性がはっきりとしていて、知能が高く、豊かな社会性を有する生き物では特に大事です。
そのような意味において、ラルゴは重要な立場にあったと言えます。仲間が揉め事を起こした時に、どうしていいか分からず困惑する様子を見せたこともありましたが、社会経験を積むにつれ、ラルゴが仲裁に入るようになったのです。そのような場面に遭遇すると、思わず拍手を送りたくなることもありました。
群れ飼育がスタートして約2年後にはラルゴが父親となり、第1子のイチローが誕生しました。これまでに4回の出産があり、チンパンジー舎はどんどん賑やかになっていったのです。
私が担当を離れてからしばらく経ってしまいましたが、園内を巡回する時、ラルゴたちのことは私にとっていつも気になる存在でした。
そんなラルゴが今年の春から急に歩様がぎこちなくなり、ついに立ち上がれなくなってしまいました。獣医師も手を尽くして調べてみるものの、明確な原因が分からないままです。
寝たきりになるといわゆる「床ずれ」ができてしまいますので、飼育担当者は専用のマットの上にラルゴを寝かせ、手渡しで食べ物を与えるなど懸命のケアを続けました。
6月8日の夕方、ラルゴは容体が急変し、ついに最後の時を迎えました。41歳でした。
決して若くはないけれど、もう少し生きてほしい年齢ではありました。
動物園に勤務していると、動物の誕生に出会えることも多いです。しかし、それと同じぐらい動物の死を経験します。避けられないことではありますが、いまだに慣れることはありません。慣れてしまってはいけませんし、死を経験するからこそ、「今を生きている命を大切にしなければ」という想いを強くするのでしょう。
ラルゴのことを思い出しながら、そんなことを考えています。
園長 福守